ヴィンテージメキシカンジュエリーの価値、歴史

ヴィンテージメキシカンジュエリーの価値、歴史

こんにちは。店主です。もう12月寸前ですが9月にメキシコにヴィンテージジュエリーとその他諸々を仕入れに行ってきました

治安の悪さにビクビクしながらあるかもわからないメキシカンジュエリーを探して歩き回りました。

ヨーロッパに行った経験はあったものの、メキシコ訪問についてはメキシカンジュエリーを仕入れることを始めてからです。

どの異国に行っても気づかされることは多いですが、メキシコ驚いたのはあまりヴィンテージという概念自体がメキシコ人には希薄なんじゃないかということ。

もちろん古くても価値があるとされているものもありますが、それはアンティークと呼ばれデザインされてから100年を超えており、観賞用もしくは新品のジュエリーのデザインソースのような位置付けになっているものが多いです。価格もとても仕入れて売れるようなものではありません。

↑銀製品の聖地タスコにはキラキラした新品がたくさん売られています。

 

私が探しているものは古くても70年ほど前のアーティストがデザインしたヴィンテージリングたち。何でもそうですがちょうど良いもの、というのは見つけるのが難しい物です。


そんな中、歩き回りやっと見つけた!思って意気揚々と購入していると、「なんでわざわざ古いものを買うんだ?」と言われたこともあります。

 

もちろん日本でも古着やヴィンテージのアクセサリーを好む人と、新しくデザインされ製造された物を好む人に分かれますが、この違いとは異なる大きな認識の違いをメキシコでの仕入れでは感じさせられます。そもそも名の知れたアーティストのメキシカンジュエリーではないと価値はないと思っている人も多いのではないかと思います。恐ろしい推測ですが、古いジュエリーはどこかに運ばれてどんどん溶かして再利用しているのでないか、、などと思ってしまいます。

↑タスコで出会ったおじさんがつけてたリング。1950年ごろにLos Castilloという工房がデザインしたヴィンテージのリングです。異なる金属を組み合わせるMetales casadosという技術が用いられています。売ってくれと言ったら絶対ダメだ新品買え、と言われました。

 

前置きが長くなりましたが、今回はメキシカンジュエリーの歴史について調べてみました。
メキシカンジュエリーの歴史と書いていますが、主にメキシコの歴史になっちゃいます。
本気でメキシコの歴史を知りたい方はWiki見てください。

メソアメリカ時代

 諸説あるようですがメソアメリカとはスペインに侵略される前です。侵略されるのが1521年なのでその前です。この時代の有名な文明といえば1325年から1521年まで続いたアステカ文明となります。現在のメキシコの首都、メキシコシティにテノチティトランという都市が築かれました。現在はテノチティトラン遺跡として残っています。この文明の他にトルテカ文明、ミクステック文明、サポテック文明、マヤ文明など多くの文明が築かれました。要するにスペイン侵攻前には多くの土着の民族が存在しました。彼らはヨーロッパの帝国とは異なり部族として各自システムをもち人々を支配していたようです。

 どのようなシステムかというと、アステカ族が信じた宗教では複数の神々が存在しこの神々と自然界を保つため人間の犠牲が必要だと信じていました。よく映画とかで出てくる神の怒りを鎮めるために人間を捧げる的なやつです。日本でも豊作を祈るために人間の命を捧げる的なことはあったようですが、同様のことがメキシコでも行われていました。

 この時代からジュエリーは存在し、主に神に捧げるものとして製作されていたようです。ターコイズを使用したお面や指輪などが遺跡から見つかっています。

 

植民地時代のメキシコ

 1521年にメキシコはスペイン帝国の一部となります。皮肉にもこの時代に私たちがよく知る、テキーラ、タコス、マリアッチなどの文化が築かれました。


 1519年にスペイン人がやってきて侵略戦争を始めます。主にアステカ帝国に対してこの戦争は起きますが、結果的にスペインに対立する者と、アステカに対して不満を持っていた部族がスペインに賛同してしまったりで、一つの国としての意識がなかったため簡単に侵略されてしまいました。そして多くのスペイン人が移住し、メキシコ国内の実権を握っていきます。この時アステカ族が信仰する守護神メヒクトリを由来として名付けられたのがメキシコです。日本ではメキシコと発音しますが、スペイン語でメキシコはメヒコと言います。

 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mexico_coat_of_arms.png

 ジュエリーに関してはスペインの侵略者はメキシコ国内の金銀の採掘量を魅力に感じたことも侵略の一因のようです。なんでメキシコってジュエリーが有名なのか、というと単純にたくさん鉱物が取れるから。侵略後はジュエリーの製作技術を軍事用途に活かされてはまずいと思い、ジュエリー製作を禁じていたこともあるようです。ただこの時もまだ今現在私たちが身につけているジュエリーとは異なり、どちらかというと儀式的な側面が強いものだったようです。

 

植民地の解放、メキシカンジュエリーの父の出現

 スペイン相手に独立戦争を起こし1821年に独立を果たします。
この時代のジュエリーは16世紀から19世紀に商業用のシルバーが多く採掘されました。ただあまりに過熱しすぎたため逆に19世紀後半から20世紀前半には採掘量の減少につながっています。そして復活のきっかけを作り有名になったのがタスコという都市とウイリアム・スプラットリングという人物です。

https://en.wikipedia.org/wiki/William_Spratling#/media/File:William_Spratling_with_Candlesticks_and_Rug,_1935.tif

彼はもともとアメリカの建築家です。1920年代にメキシコに移住し、TAXCO (タスコ)という街でジュエリー製作を追求しました。彼が今日のメキシカンジュエリーの基礎を築き、スペインの侵略後に落ち込んでいたシルバー採掘、製作の文化を復活させたと言われています。工房を持ち、多くのシルバースミス(職人)を抱えていたようです。たくさんの人に支持された理由はスペイン侵略前に存在したメソアメリカ時代の伝統的なジュエリーのデザインに影響を受けつつ建築家として培ったデザイン力を取り入れていたからだと言われています。彼のジュエリーはメキシコの伝統的なナショナリズムと文化を表現していると信じられ、国内外で人気を博しました。

 スプラットリングはメキシコの大学にて短期で建築を教えるために招聘されたことでメキシコを訪れその期間にメキシコのカルチャーに魅せられ移り住んだとのことです。

彼の工房には後に有名となる多くのシルバースミスの若者が集い、今現在まで続くメキシカンジュエリーの文化の礎を築きました。3枚目の写真でご紹介したLos Castillo工房を立ち上げたAntonio Castillo氏もスプラットリングの工房に入り修行しています。

 

Sunfold

 

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